Fukuda Blog No.1  2011.3~2012.1

スリーストリンガー

古いお客さんからオーダーが入り 久々にスリーストリンガーの本格的なロングボードを製作した。彼の年齢は50代半ばだけど 毎週休みには必ずと言っていいほどサーフィンをしている。ベテランサーファーで好みも渋い。長さ293cm 幅58cm 厚さ7.7cm 重さ12kgが基本データー USブランクスの9’9”スリーストリンガーのレッドウッド ロッカーを少なくテールをやや上げてテールワイドを40cm位にしてテール幅は12cmのベビースクエアーテール テールの方にワイドポイントを持っていき ピッグに近いアウトライン ノーズはやや丸めだがポイントを入れた。セミワイドノーズ アウトラインはノーズライダーの様だがボトムは全くノーマルにした。とにかく こういうボードは何の細工もしない方がよいのだ。レールは60/40くらいでボトムに向けて少しソフトエッヂを付けてテールエッヂは全くなくした。本来のロングボードのスタイルにし仕上げた。ボランクロスをボトムに1枚 デッキに2枚でセンターにデッキパッチを入れたテールブロックはレッドウッドでスプルスのチェッカーをレッドウッドに挟んでバンパーにした。フィンは固定にしたかったが注文主の意向でボックスにした。仕上がってみると やはりクリアのスリーストリンガーは良い。ずーっとみていると 私の自身の今までのボードを作りの思い出が色々と頭の中をよぎった。 納品後数日たって彼から電話がきた 「この板最高 ありがとう」 物を作る人間にとってなによりもうれしい言葉だ。

 

New Order チェック

ストリンガー

あけまして おめでとうございます。 

さて今年最初のテーマはこれ。サーフボードの真ん中に入っているのがストリンガー ボードのねじれを防ぐのが本来の目的で 木製の材質が多い。スプルス レッドウッド バルサなど 60年代の後期にグラスストリンガーや カラーフォームのストリンガーなんていうのもあった。通常は真ん中に一本のシングルストリンガーが多い。ロングボードには装飾的な物が多く三本ストリンガーやバルサをレッドウッドで挟んだ Tバンド ノーズからテーパーに テールの方に広がる ウェッヂストリンガーなど 色々な組合せが自由に オーダーできる。 クラークフォームが やめた時 クイックシルバー社が ストリンガーの材料を買い占めて 一時期 ストリンガーのオーダーができなくなったが 現在は USブランクス社で どんな組合せでも オーダーが可能になった。25年位前はレッドウッドが 標準で入っていたが ワシントン条約で レッドウッドの 伐採が 一時できなくなり 変わってスプルスが標準になったが 現在は 回復してレッドウッドのストリンガーも入手でじるようになった。本来サーフボードはクリアー仕上げで ストリンガーの個性を出すのが一番カッコいいとされている。普通のショートボードにスリーストリンガーを入れ プライウッドで トライフィンを作り 取り付けると ありえないけど クラシックなショートボードができる。 一度ショートボードに興味のあるサーファーは作ってみるとよい。渋くてとてもカッコいいから。 ロングボードなら一インチのバルサを8分の3インチで挟むTバンドに ボランクロスで巻き テールブロックとウッドフィンで仕上げると 60年代中期のスタンダードなカルフォルニアクラシックの飽きのこないの一生ものの一本になるだろう。 

Kさん自作進んでます。アウトラインを決めテイクダウンカットも上手でした。シェイプはやはりプレナーが初めてで 力が入りすぎて大変でしたが 最終的には上手にシェイプをこなしていました。次はラミネートで タイガーストライプ希望 タイガーラミネートは難しいので良い経験になると思います。 

ロン・ストーナー

ロン・ストーナーというフォトグラファーがいた。カルフォルニアでサーフィンを主にとっていた。60年代の後半にサーファーマガジンの専属カメラマンで 若い頃 私達が彼の作品をリアルタイムで見ていた。その後ドラッグにおぼれ 70年代の中期には もう彼の写真は見られなくなった。 彼の写真は光と影の使い方 アングルのよさが 際立っていた。 他にも リロイ・グラリスやウォーレン・ボルスター等 商業写真の上手いカメラマンもいた。しかしストーナーは芸術的な写真を撮り続けた天才だった。彼の作品に夕日に向かって ニーパドルをするサーファーの写真がある。私の大好きな写真の一枚だ。それを見ていると 悲しくなるほど 美しく そして心が落ち着いてくる。こんな写真を撮れる ロン・ストーナーってどんな感性を持っているのだろう。彼は30数年前に突然 行方がわからなくなった。ドラッグのやりすぎで 死んだとか アジアのジャングルで見かけたとか コロラドのスキー場で写真を撮っていたなど 未確認の情報が毎年のようにアメリカのメディアに登場している。生きていれば 66歳くらいのはずである。4年くらいの前に彼の家族が古いトランクの中から未発表のネガを発見して写真集を出版した。日本でも買えるので ぜひ見て下さい。ちなみにウォーレン・ボルスターは私がマウイにいた時 向かいの部屋に一週間ほど滞在していた事があった。。「ナショナルジォグラフィック」の仕事で来ていた。とてもおとなしい 穏やかな人だった。サーフィンの写真も彼の人柄が出ていて 優しい作品が多いようだ。今どんな写真を撮っているんだろうか…。 

最後に皆さん よいクリスマスを!

 

V-Ⅱ号

ボトムはアウトサイドカラーをマーブルにして 後は全部クリアー デッキには細いピンラインを入れるかも。 シングルスタビライザーなのでショートボックスをセンターにサイドにはFCSを取り付けました。後はサンディングとフィニッシュ。後2~3日で完成です。

自分で作ってみよう

最近お店に来るようになったKさんは大変なマニア 古いボードを手に入れて自分で修理したりロングボードをちょん切ってファンボードを作ったりと相当なサーフフリーク そこで自分で作ってみたら?とすすめて

早速スタート 完成まで紹介して行きますのでお楽しみに。

V-Ⅱ号

前回 HPで紹介した V-Ⅰ号を見て 若いお客さんが長さ 5’7”で V-Ⅱ号をオーダー これから製作過程をアップしていきたいと思います。お楽しみに!

 

 

ボランクロス

先日 材料を輸入しているメーカーから10オンスのボランクロスが在庫にあると連絡があった。今まで私の作るボードに ぜひ使いたかったが 日本では あまり使うボードメーカーがないので入手が難しかった。とにかくビンテージボードのクリアーだと カットラインが深くなり ボラン独特の淡いグリーンが何ともいえない 渋くてよいフインキが出せる。特にスリーストリンガー等 マルチストリンガーでの仕上がりはファンにはたまらないはずだ しかも丈夫で重さも出せる。クラシックボードに最適なクロスです。今後オーダーがあればぜひ使用したい。来年早々デンシティー(発泡密度)が重いブランクスに 2インチ位のリバースTバンドのフォームを使い10オンスのボランクロスで1本 本格的なビンテージスタイルのボードを作ってみたいと思います。お楽しみに。

V-1号 完成

V-1号完成です。よい出来だと満足しています。フィンはジョージ・グリーフのステージⅡあたりの長めの細いフィンがフィットしそうです。フレックスもOK。波は大きめの方が性能がでます。ポイントはスピードとラディカルな動きを追求しました。テイクオフも早いと思います。フェイスのきれいなマリブあたりで優雅に攻めるサーフィンを楽しんで下さい。今後この様なボードやシモンズ系をもっと作りたいと思います。オルタネイティブ系も もちろん大丈夫ですので マニア系のボードを考えている方は相談にきて下さい。お待ちしています。

 

※詳細はNew BoardsへGo!

V-1号 製作

V-1号は順調に製作が進んでいます。ラミネート ホットコートも終わり。カラーもパステルグリーンの60年代風の良い色が出ました。サンディングは深いVボトムにボックスを埋め込み ボックスの上部をV型に削りだすのが大変でしたがキレイに仕上がりました。重さが少し足りないと思うのでWコートをして 重さをバランスよく調整します。ピンラインとストライプを施して 後は仕上げのホットコートを塗り バフ仕上げで終了です。かなり良くできたと思いますので ぜひ実物を見に来て下さい。完成は本日…予定です!

V‐1号

幅53cm 厚さ7.3cm レールはエッジを下につけ 上部は丸めのレールです。テールのVカットは大変でしたが うまくいきました。レールカラーとデッキパッチを60年代風のパステルカラーにしたいので 取りあえずデッキパッチをラウンドカットにしてラミネートしました。ロゴも当時のディケールを作り デッキの右側に入れました。今日はボトム サイドをラミネート予定です。今 重さを考えている所です。

Vボトム

先日 古い資料を見ていたら 1967~68年頃のサーファーマガジンに 当時最先端のVボトムの広告がやたらと多多く出ていた。ホビー ビング サーフボードハワイ コンなど大きなメーカーから グリーク ペテリロなどといった 小さなメーカーまで こぞって発表していた。長さは9’6”の普通のロングからショートに移行した時期なので 7’3”くらいで 各メーカーとも一押しだった。特にサーフボードハワイは発表されたばかりのファイバーストリンガーを板が軽くなり しなやかなロッカーが作れるのを売りにしていて 色々な長さのモデルを作っていたみたいだ。私も作りたくなったので 7’8”のリシェイプ用のフォームを使う事にした。ストリンガーは 3/8"のレッドウッドでクラークス社のものだ。これを7'3"~7’5”くらいのサイズにしてフィンはボックスにするか 細目で長いグリーノスタイルのフレックスを固定で取り付けるか考えている。製作過程はHPに載せるので興味のある方はぜひ見て下さい。お楽しみに。

波情報

今のサーファーは携帯の波情報とか色々な方法で各地のコンディションを簡単に知る事ができる。私達の若い頃は 毎日 新聞の天気図や 前日に海に行った友人から聞いた情報で波のコンディションを判断してサーフィンに出かけた。確率は悪かったが良い波に当たると 宝物でも見つけたようにうれしかった。私は今でも海に行く時は まず風向きを知り その風にあった海岸を目指します。そしてポイントがダメだったら次のポイントを目指します。そうするとたいがい一箇所はできる所があります。全然ダメな日もたくさんありました。でも私はそういうサーフィンが好きです。自然が与えてくれる波を自分が選んび その日その時にあたえられる喜びを感謝して 心行くまでサーフィンを楽しみます。 色々な情報を集め友達と携帯で情報交換するとポイントが混んだり駐車場が無くなって迷惑駐車をしてしまったりと弊害が多く出ます。サーフィンをしている人は もっと人間の持っている五感を使い体感を磨いて下さい。自分の感を磨いていると思っている以上に鋭いものがある事に気が付くはずです。それは皆さんが持っているのに使わないだけだからです。せめてサーフィンくらい電波情報を持ち込まないで楽しんで下さい。波の良かった日に帰ってから天気図をチェックして それを取って置くと次に同じような気圧配置になった時 たいがい そのポイントは良いブレイクをしています。参考にしてみて下さい。

ヘビーウェイト

最近 オーダーの板を重くして欲しいというリクエストが多い。昔から私の板はクラシックスタイルがメインだから それでよいのだけれど 去年の終わり頃から ヘビーウェイトの注文が増えた 通常の板は約6kg~8kgくらいだが10kg以上にして欲しいという。実はブランクスが軽くなっている事と 他の材料も良くなっているという事もあり 一本のボードを作るのに通常の3倍くらいの手間がかかる。グラッシングはボトム デッキ共に8.5オンスのボランクロスを2層 さらにデッキには8.5ボランクロスのデッキパッチを重ねスキージングはしごくというよりは樹脂を伸ばす様な感じだ ホットコートはデッキ ボトムを2回重ね 最後のクリアーも その時点で重さが足りない時は再度 両面にクリアーをかける。最終的に重さは約11kg~13kgに仕上げる。私の場合は製作途中でユーザーに来てもらい重さなどを確認してもらっている。注文服の仮縫いみたいなものだ。そして最後はバフをかけてピカピカのボードが出来上がる。そんな訳で店のストックボードも3/8”と1/2"のレッドウッドのストリンガー クロスはボランクロスを使用した物をレギュラーバージョンにした。もちろんライトウェイトのオーダーも続けている。古くなったロングボードをレストアすると重くて良いボードになる。費用も新品をオーダーするより リーズナブルで人気がある。ぜひ一度試して下さい。

音楽

サーファーって おそらく世の中で一番音楽好きが多いと思う。昔 ミッキー・ムニオスに「ミッキーの若い頃 カルフォルニアのサーファーは どんな音楽聴いてたの?」と聞いたら 主にジャズ モダンジャズが特にウェストコーストで人気があったと言っていた。デイブブルーベックやラムゼイルイスなど軽い感じで 今聞いても古さを感じさせない。マイク・ドイルは本当に好きだったようだ。ジャンとディーンやビーチボーイズなんかのポップス系は人気が無かったようだ。その後 ビートルズが来て 70年代前半はニールヤング クロスビースティルス ちょっとマニアックな連中はホットツナやクイックシルバーメッセンジャーサービスが聞かれていた様だ。今はよく知らないが とにかく 50~80年代はサーファーが文化の中心だった。つまり当時のサーファーはイケてた訳だ。現在はサーファーがシティスタイルになったのか さもなくば両方が歩み寄って合体したのか サーファーのアイディンテティがなくなったみたいなので 少しさみしい。これも時代かと思う今日この頃である。

姪のボード

今 姪のボードを作っている。小柄で もう中年になった彼女には 長さ 9フィート2インチで幅22 1/2インチ  厚さ3インチでアウトラインはWエンダー 太いピンテールでレールも少し下げて ボトムはフラットにした。カラーはマジェンダのインサイドカラーにデッキはイエローのティント 白い太めのピンラインでBOX仕様 重さも女性用のボードにしては重くした。生まれてから知っている彼女が家族でサーフィンをしているという事がうれしかった。今まで 使っていたボードは流行の薄く 細く 軽くで フィンシステムはスタビライザー付きのシングル。私に言わせてもらえば こういうボードは上手なマスターサーファーが使うもんだ。とにかく女性はボードの選び方を間違えている人が多い。昨年くらいから店にも女性のサーファーが増えた。彼女達には重いボードを作ってあげた。動きは少々悪く感じるかもしれないが 結果は皆 テイクオフが早いと喜んでくれている。 そう初心者や女性には波に乗れる事が一番重要なのだ。動きやテクニックなどは そのうちできるようになる。とにかく波に たくさん波に乗ることだ。姪がなかなか上手くならないと言うから「上手にならなくていい とにかく楽しみなさい どれだけ楽しんだかで結果 上手くなっている。」と助言した。もしこれを読んでテイクオフに悩んでいる初心者や女性のサーファーがいたら いつでも遠慮なく相談しに来て欲しい。アドバイスしますよ。 

リンドバーグ

チャールズ・リンドバーグとは 1927年ニューヨーク パリ間を 愛機 スピリット オブ セントルイス号で 単独無着陸の記録を作った 世界的に有名な飛行家だ。 彼の別荘が マウイ島のハナという所にあった。ハナという場所は ビートルズのジョージ・ハリソンや 有名なハリウッドスターが別荘を構える 静かで とても 美しい町だ。ある日 知人の日系人が朝やって来て 今日暇だったら 掃除の仕事に行ってくれないかと 住所と名前の書いてある小さなメモを渡してきた。メモには リンドバーグと言う名前とハナにある その家の住所が書いてあった。ハナまでは私のいるラハイナから車で 2時間位かかる。が まぁ いいやとOKして すぐに その家に向かった。町を過ぎ住宅地に入ると とんでもない大きな家々や門がまえにびっくりした。私は番地を探し その家へ着きアポイントをした。中に入るとこれまた緑におおわれた 広大な庭に 大きなアメリカンハウスがあり 程なく中年のショートカットのとても上品な女性が現れた。仕事の話をすると「OK聞いてるわ」と 仕事の説明をされ 「あそこにあるゴルフカートを使っていいわよ」と言って去っていった。仕事は簡単で要するに庭掃除だ。なるほどゴルフカートを使わなければならない程 広いのだ。駐車場にカートを取りに行く時に 長身の老人が歩いて来たので「こんにちは」と挨拶すると 「アーこんにちは ごくろうさん」と言って その老人は家の方へ歩いて行った。後で気が付いたのだけれど もしかすると あの老人がMRリンドバーグだったのかも知れない。今考えると もったいない事をした もっと話掛ければよかった。飛行機好きの私としては 大変興味のある偉大な人と話せるチャンスだったのだから 残念!!

フィル・エドワーズ カラーバージョン

今から20年前 東京の葛西に「シー リレーフ」というホビーのロングボードを扱っている店があった。オーナーは清水茂樹氏 サーフィンの上手なステキな人物だ。 フィル・エドワーズのメタルステッカーの初期の物やモデル60’s ノーズライダー等 ホビーのラインナップを扱っていた。ある日 清水氏と話をしていたら フィル・エドワーズのカラーモデルを一本だけ オーダーしてみると言った 「エー 無理でしょう」と私 フィル・エドワーズは皆さん ご存知の通りクリアーのスリーストリンガーしか製造しないからです。 しかしダメもとで ホビーにオーダーしたそうです。 それから数ヵ月後 清水氏から電話があった。「福田さん 来たよ 例のフィル・エドワーズが!」 と興奮していた。 即 彼の店にすっ飛んで行った。すでに梱包はとかれ そこには ぴかぴかの赤いグラデーションのフィル・エドワーズモデルがあった。カラーデザインとエアーブラシとの色付けで 私好みではなかったが すばらしい出来だった。「へー作ってくれたんだ これ一本しか カラーバージョンは無いのかな?」と私「多分 日本ではこれ一本だけど アメリカでは分からないですねぇ」と清水氏 後日 お客さんのS君に その話をしたら 早速 手に入れたと 連絡があり 店に持ってきてくれた。 それからしばらくして とんでもない事が起きた。S君が千葉で波乗りをしていて そのボードを真っ二つに折ってしまったのだ。どういう状況だったか知らないが S君が帰り店に寄り 「いやー まいりましたよ チクショー」とガッカリしていた。「その板 どうしたの?」と聞くと 捨ててきましたとの答えに 「えーっ 直せるかもしれないのに」 「アレは無理だと思いますよ」とS君 今となっては何とももったいない話だ。 幻のフィル・エドワーズ カラーバージョンのお話でした。

ビンテージボード

店にお客さんから預かった ビンテージのゴードン・スミスがある。長さ9フィート4インチ 幅22インチ 厚さ31/2インチ ストリンガーはレッドウッドで サイドが1/2インチ センターが1/8インチ モデルはマイク・ヒンソンのレッドフィンモデル フィンは固定になっているが 旧式のボックスに 樹脂を流して固定したらしい 重さはなんと16kg レールはテーパーでロッカーはほとんどない 程度は悪いが とてもフインキがある。 1964~65年に作られ シェーパーは不明だが 多分 フロイド・スミス だと思う。私は乗っていないが 乗った人達は 良い感じで 本物という貫禄が 足に伝わってくると言っていた。古いボードは ノーズが丸く センターは幅広く 厚くて重い というイメージを持っている人が多いが それは意外と少ない。60年代の前期はノーズは細い ポイントノーズ センターの幅も狭く 薄い。重さは 10オンスのボランボートクロスを使っているので 60年代後期になっても 重さは変わらない。60年代中期辺りから コンケーブの発明などで ノーズが広く 丸くなって センター幅も広くなり 安定したノーズライディングが確立されたようだ。いずれにしても 仕事柄 ビンテージボードに触れる事が多いが どのボードも 強烈な個性を持っている。今のボードにはない ソウルがある。いかに当時のシェーパーもサーファーも エキセントリックな表現力や考え方を シェープするボードやライディングで試行錯誤していた事だろう。60年代のビル・ハミルトンやジョニー・フェイン ミッキー・ダラなどがラディカルサーフィンの原点だと思う。当時のボードで あのスピードや動きを したのだから。

剥離

最近 修理に来るボードはデッキの剥離が多い これはボランクロスでクラッシクスタイルに仕上げ マーブルやタイガーストライプなど 樹脂カラーを多用した外国製のボードに多い。原因は今のフォームが昔の発泡と違い 発泡技術が良くなって セルが細かく 軽くなったからだと考えられる。昔のフォームはセルが荒く ピンフォールだらけで 重かった。クロスも現在のように 軽く細かい目のクロスが無く ボラン処理をしたモーターボートやヨットに使う ボランボートクロスが主だったから 重く硬いボードができたが しかしウレタン製のボードは初期の頃 ピンフォールだらけだったので クリア仕上げは商品にならずカラーデザインで それらをカバーしていた。昔の写真を見るとストライプやフルカラーボードが多いのは こんな事情があったからだ。最近のクラッシクボードファンも「重くして下さい」 や 「ロッカーを少なくして下さい」との注文が多い。ロッカーを少なくする事は問題ないのだが 重さを出す為に ボランクロスを何層も巻いて重くしても 結局フォームがやわらかいので 表面のクロス層は あまりへ込まないが その分 フォームが凹んでしまい剥離がおきてしまうのだ。特にニーパドルするサーファーには大きな悩みとなっている。これを解決するのは 硬いフォームを使い クロスとの相性を考え 重さを決めるのがベストだ。幸い USブランクス社から クラッシクというアイテムの硬いフォームが発売されている 但し これはメーカーにオーダーなので 時間は多少かかる。硬くて重いボードが欲しければ 経験を積んだシャーパーやボードビルダーに相談すると良い。彼らは昔のやり方を良く知っているから Keep surfing!

 

上記のボードはストリンガーから剥離をおこしていました。 ストリンガー部分を修理をして 後が残るため デッキにカラーデザインを施し傷をかくして仕上げました。(参考 修理期間3日 ¥38.000- )

スタンス

サーファーの皆さんが ご存知のスタイルはレギュラーフッターとグーフィーフッターの2通りあります。私が思うには日本人はレギュラーフッターが多い様ですが 外国人にはグーフィーフッターが日本より多い様です。もちろん日本と外国のポイントの違いもありますが 私が感じた事は私達の子供の頃は左利きは親や先生に右利きに直されたものでした。やはり日本は右利きの文化だったからでしょう。それがスタンスにも少なからず影響があるように感じたからです。外国人は左利きの人が多いですから ハワイなどのサーファーはグーフィーフッターがとても目立ちます。右利き左利きなどはサーフスタンスには関係ないかもしれませんが 私には どうも その事が ずっと 頭に引っかかっていました。ちなみに私は初心者の頃 グーフィーでしたが千葉にはレギュラーの波が圧倒的に多いのでレギュラーに直しました。おかげで 今でもスイッチスタンスができます。なかなか便利です。川井幹夫君もそうでした。

スタイル

先日修理をした板だが いわいるマニューバー系のシェイプで 長さ274cm 幅54cm 厚さ6.5cm 重さ6.5kgでスタビライザー付きのボード レールは8:2の極端なダウンレール テール部分のレールは手が切れそうなハードエッジがついて 幅の狭いピンテールだった。これを見た時 一体このボードでどんなライディングをする気だろうと思った。多分 コンセプトは動きとスピードを追求する事だろう。でも これはショートボードのシェイプコンセプトを無理やりロングに使っている。シェーパーは若い日本人らしい ロングボードの経験が少ないからであろう。何でもありのご時世だが こういうアレンジは私は好きではない。もっと勉強してロングボードを体験したり その歴史など 深い所を知ってほしい。友人のシェーパーにはマニューバー系のボードをシェイプしている人はたくさんいるが 皆 しっかりとロングのコンセプトとエッセンスを理解しているので とても良いモダンクラッシックなボードをけずる。クラッシックスタイルのロングは重くて動かないものだと 思っている人が多いようだが それは動かせない人です。それなら どうしたら動くようになるんだろうと考えてサーフィンをするんです。昔のDVDなどを参考にするとよい。そして動くようになったら それがあなたのスタイルです。たとえ格好が悪いと言われてもスタイリストになれるんです。ロングボードのボーディングは奥が深いんです。 さぁ 皆がんばって! 

不思議な話

もうずいぶん前の話だが お客さんの若いサーファーがバリ島へ行ってきて お土産に薄いきたない紙に仏像が印刷してある プリント紙を持ってきた。大きさは習字の半紙くらいだった。「これをこれからオーダーするボードに入れて下さい。」と言った。私は「うん いいよ ポジションは?」と聞くと彼は「デッキのノーズの30cm位下でいいです。」 オーダーされたのはごく普通の6フィート2インチのショートボードだった。2週間後ボードが出来上がり彼が取りに来た。「おぉっ~かっこいいっすねぇ」と大変満足してくれた。そして明日 休みだから海へ行ってきますと言って帰った。翌日の夕方彼が店に来た。板が折れていた。びっくりして私は「どーしたんだよ?」と聞くと彼は黙って指をさした場所はその仏像のプリントを入れた所だった。「えぇっ~どうしたんだ これは!」 正直びっくりして罰があたったのかもしれないなぁと 彼と話した。ボードはすぐに修理をして それからは何事も無く調子が良い板ですよと気に入って乗ってくれた。しばらくして 知り合いのスピリチュアルな事に詳しい知人に話をしたら その仏像は破壊の神 シバ神 という何でも壊してしまう神様だったらしい事が分かった。 さすがにそれを聞いた時はぞっとしたが それから神仏の様なものはやはり何か があると思い気が付いたら知らずに手を合わせていた自分が居た。

ニーリング

サーフィンのパドリングにはプローンスタイルとニーリングという二種類がある。ショートボードはもちろんプローンパドルだが ロングボードには ニーリングという 座ってパドルするスタイルがあるが あまり見かけなくなった。これはボードのセンターより少し後ろに座ってパドルする。これだと体力的にもラクだ。よく浮力がないボードでは無理ですと言う事を聞くが そんな事はない。ボードの重心を覚えてしまえば誰でもできる。またこのスタイルでテイクオフするのも クラシックでカッコいい。最近ではほとんど見ないが 古いアメリカのDVDを観ていると 結構大きな波にニーリングでテイクオフしている。ニーリングでテイクオフすると 立つのが早く ボードの後ろの方にすばやく立てるので波から下る時のスピードも速くなるし 見た目にも優雅だ。小さい波から練習していくと良いと思う。クラッシクマニアには是非マスターしてもらいたいテクニックのひとつです。さぁマニアの皆さん練習して下さい。

サーフスタイル

日本人のサーファーはとても流行に敏感だ。サーフウェアや色々なグッズ等 情報がとても早い。サーフボードの流行も同じようだ しかし サーフボードの流行はちょっと違う それは名称に惑わされてしまう事。たとえば最近ではロングボードのPIG ファンボード ショートボードではオルタネイティブ ちょっと前はフィッシュやスワローなど とにかく名前に惹かれてしまうみたいだ。しかしオルタネイティブやスワローなどの癖のあるボードは乗りこなすのがとても難しい。ロングのPIGスタイルも同じで ある程度のキャリアのあるサーファーでないと そのボードの本来の良さは分からない。 それよりも自分に合ったスタイルのサーフボードを自分自身で探してみるとよい。それがその人のサーフスタイルになるのだ。上手な人のアドバイスも聞くとよい。こうゆうサーフィンの本質を見つけるのがリアルサーファーなんだから。

めざめ

私がほとんどロングボードしか削らないから ショートボードに乗った事がありますか?と たまに聞かれるが もちろんあります。 マウイに居た頃にスティーブ・スリッケンマイヤー(クリス・スリックの兄)が削ってくれた 6フィート3インチのスリーストリンガーで赤のティントで仕上げた シングルフィンのフィッシュに乗っていた。だけどショートボードは何か自分の求めているサーフィンではないような 物足りない気がしていた。そんな時 スリッケンマイヤー兄弟の家に遊びに行ったら 庭に赤いロングボードが置いてあった。 長さを測ったら 8フィート8インチだった。「これ誰の?」と 聞いたらビングの社長のビング・コープランドが自分用に削ったロングボードでホノルアで数回使っただけで 置いて帰ったボードだった。 そして誰でも使っていいよとスティーブが言ったので 早速借りる事にした。 翌日 ラハイナハーバーのブレイクウォーターというポイントで良い波がたっていた。3 4フィートのキレイなショアブレイクで 早速ラインアップに入り 最初の波に乗った。「すごいっ 早いっ バランスがいい!! ロングボードの方が楽しいじゃん!」 その一発でロングボーディングに目覚めた。その後 スティーブに60ドルで売ってもらい マウイでのサーフィンライフを充分楽しんだ。残念ながら そのボードは帰国する時 友人の警察官でサーファーのジョセフ・ラノーザの息子ローレン・ラノーザにプレゼントした。彼の10歳いの誕生日に。

楽しいサーフィン

先日ハミルトンのHPで動画を見ていたら 60年代初期のハリウッド映画で フランキー・アバロンが主演で題名はたぶん「ギジェット」だと思う。 映画の中でひとつの波に4 5人のサーファーが一斉に波に乗るが 乗ってすぐ落ちるヤツや隣のサーファーの板に飛び乗りタンデムをしてしまったり とても楽しそうだった。 そういえば 自分達も昔 海でひとつの波にみんなでテイクオフして 前のサーファーを突き落としたり 落とされたりして遊んだっけ… でも 最近はひとつの波に一人で乗って ストイックにサーフィンのテクニックを追及する様になってしまった が それも良い。 しかし なぜか昔のおばかなサーフィンが懐かしい。 海に入っているサーファーは 皆 笑っていた。 のびのびとサーフィンが楽しめたあの頃。 僕はぼくのまわりの人達とあの当時のフインキを楽しんで行こうと思っている。サーフィンをするのは身も心も 開放されに海に行くんだからね。 エンジョイ サーフィン!

サーファー

27年間 この仕事をしていて気が付いたことがある。 それはサーファーというのはサーフボードが好きな人と 単にサーフィンが好きな人の2つのタイプにだいたい分けられる。 もちろん両方とも好きな人も居る。 サーフボードの好きな人はボードのアウトライン シェイプ ストリンガーの種類 フィンのスタイル カラーデザインなど本当にマニアックなアイテムを求めてくる。 車をチューンするような感じだ。 彼らは古いサーフィンの写真集や雑誌などを持ってオーダーに来る。僕のようなクリエイターは古いスタイルが大好きなので とても楽しい話ができる。マニアの人達は本当によく勉強している人が多い。もう一方のサーフィンが好きな人達はサーフボードは長さと幅と重さを決めるだけでシンプルなオーダーだ。彼らは波のよい場所や人の知らないポイントなどの話が多い こちらも多くのコアな情報を聞けてためになる。この人達は波を求めて旅をする人が多いから その土地の話も聞けて大変面白い。どちらにしても本当にサーフィンが大好きなリアルサーファーだ。 みんながんばれ!!

サーフボードの仕上げ

皆さんはサーフボードのバフ仕上げを知っていると思いますが 最近のロングボードはほとんどがバフ仕上げです。しかし1960年代にはバフ仕上げはありませんでした。当時はデッキとボトム 片面ずつクリアーを塗り その境目のレールにバリができてしまうので そのバリをサフォームで削り 耐水ペーパーで仕上げていました。 ですから仕上げのクリアーは大変難しく 神経を使いました。 ホコリや温度 作業場に風が入らないよう 細心の注意をしました。 バフ仕上げが日本で始まったのは1960年後半頃 確か パイオニアモスの出川三千男氏 田沼進三氏の両氏が最初だったと思う。(間違ってたらゴメンナサイ!) 最初のバフ仕上げのボードを見た時はビックリした。プラスチックの一体成型のように表面がツルツルでピカピカに輝いていた。「おぉ~すげぇ~」と正直思った。 実はバフ仕上げはすごく手間がかかる。最近の若い職人はショートボードが多いからバフ作業ができない職人もいる。 まずオープンカットのサンドペーパーで320番から800番くらいまで カラ研ぎをして レールは耐水ペーパーで仕上げ その後 羊毛のバフパッドを使い コンパウンドで光沢をだす。 カラ研ぎのペーパーの削り目が消えるまで コンパウンドバフでみがく。 そしてブルーバフを使い仕上げる。 そりゃあ 大変な手間です。 ボードを作っている職人の一人として いつまでも大切に乗ってもらいたい。

イブニングサーフィン

若い頃は早朝4~5時頃からサーフィンを始めていたが40歳くらいから 夏は夕方サーフィンをする事が多くなった。午後の3時頃に出発して5時頃 海について 1~2時間 波乗りをする。 サーファーの人数も少なく 風も静まり 波もまだ少し残っている。日差しが弱いから身体も疲れない。 なによりも太陽の沈む海が何とも言えずきれいだ。あのオレンジ色は絵や写真では表現できないと思う。サーフィンは波に乗るだけではなく海で遊ぶ人しか感じられないシュチエーションを楽しむとよい。心が落ち着き 気持ちが豊かになり ゆとりがでる。 そして周りの色々な面が見えてくる。皆さんもやってみて下さい。そして そのまま波や天気のコンディションがよく 月が出てきたら 月のあかりで ナイトサーフィンをしてみるのもおもしろい。とにかく自然の恵みにたくさん触れて楽しむ事が大切。サーフィンは本当にアウトドアです。心から楽しんで下さい。

初めてのウエットスーツ

僕が始めてウエットスーツを着たのは19歳の冬だった。当時サーフィンといえば 冬はもちろんオフシーズン よくスキーに行ったもんだ。でも19歳の冬は違った。兄がウエットスーツを手に入れたのだ。昔はサーフィン用のウエットスーツはもちろん ダイビングのウエットスーツさえ珍しかった時代 東京湯島にある大平潜水というダイバーウエットスーツ専門店を兄が見つけ ビーバーテールとウエットパンツのスーツを買ってきた。7mmのシャークスキンでクレッシーというイタリア製のものだった。価格は上下で72.000円位 サーフボードが38.000円の時だから当時のウエットスーツがいかに貴重品だったのかが分かる。初めて兄に借りて12月の海へ 「あったけぇ~」 それが第一声 しばらくして感じてきたのは やはり7mmもあるので動きが悪いし 浮力があるので身体が浮いてしまう事だった。が この温かさが すべてをちゃらにしてくれた。しばらくしてDUCKSの太郎さんの所で2mmのショートジョンタイプのウエットスーツが発売された。型は良いのだが なんせ2mmだ すぐに破れてしまったが 価格が5.000円以下なので それなりに良かったと思う。1968年に友人のアメリカ人がボディグローブのショートジョンを買ってきてくれた。これはさすがに良くできていて 保温も優れていた。しかもリバーシブルで海で着ていると皆に羨ましがれた。その翌年にボディグローブのフルスーツを買ってきてもらった。確かスパイダースーツという名前だったと思う。これはもう当時としては最高のウエットで 保温も動きも良く 丈夫にできていた。その頃からオニールなどのメーカーも少しずつ日本に入ってきていて なぜかロングジョンが多かった。それから第一次サーフィンブームのおかげで 日本でも質の良いウエットスーツを作るメーカーがたくさん出できて 現在の様になったのである。今の日本のサーフィン用ウエットスーツは世界一だと思う。

 

 

夏のサーフィン

いよいよ今年も夏が来た。3月の大きな災害で今年は夏が来ないんじゃネェか?なんて思っていたら やっぱり来たうれしい!がんばれ地球!!で 夏のサーフィン 最近のサーファーは夏でもウエットスーツを着ている人が多い サーフィンを始めたばかりの人に「夏なのに なんでウエット着てるの?」と 訪ねたら 「えっ!サーフィンって いつでもウエット着るんじゃないんですか?」と答えてきた。理由を聞くとウエットスーツは防寒の他に身体をケガから守ると教えられたという。 なるほど私達の若い頃はウエットスーツは高価で貴重品で 寒さと冷水を防ぐアイテムだった。しかし時代と共に素材や縫製 カットなどが進化して今のウエットスーツというよりボディアーマーという型が完成したのだと感じた。ただ夏はやっぱりトランクス一枚でサーフィンというのが本来のサーファーらしい姿だと思う。特にロングボーダーは太陽を全身に浴び 全ての束縛から解放して 存分に身体を動かしてほしい。 ロングボードはトランクスが良く似合う なによりもワイプアウトをすると とても気持ちいい。1960年代の写真を見るとフルスーツのウエット姿はほとんど見ない。やはりアメリカでもウエットスーツは貴重品だったよで 冬場はトランクスに潜水用のビーバーテールを着て 寒さを防いでいた。 ビーバーテールにトランクス これはノスタルジックで今でもクールだと思う。

リーシュコード

1973年マウイ島にいた私は始めてリーシュコードを見た。 当時市販の物はハワイには少なく ほとんどが手製だった。フィンに穴を開け紐を通して その途中に20cm位のゴムのチューブを針金で結び 足には皮のベルトを足首より少し長く切り それにも穴を開け紐を通した簡単な物だった。早速僕も作ってみたが案外簡単で上手くいった。ハワイのポイントは沖の方にあるのが多く これのおかげでずいぶん水泳の時間が少なくなった。しかし年配のサーファーはパンティーコード(弱ムシの紐)と言ってばかにしていた。その後すぐにラハイナにあるディック・ブリューワーの店に9ドル75セントでカルフォルニア製の物が売っていた。日本に帰って来て海に行ったら もう ほとんどのサーファーが使っている程 普及していた。岡野教彦がノーズに吸盤でつけて 手に持っているコードを使っていて 犬の散歩みたいでユーモラスだった。 このリーシュコードも大サーフィンブームの中のひとつの要因だった。これによって なんと泳げないサーファーがたくさん出現した。これは大変キケンだ もしコードが切れたらどうするの?リーシュコードは泳げるのが前提でワイプアウトしてボードを流した時の道具です。運悪くコードが切れたら泳いで帰るしかありません。もし今でも泳げないでリーシュコードを頼りにサーフィンしている人は まず泳ぎを覚えましょう。大丈夫 人間は泳げるDNAを持ってます。海や水に道具を持たずに慣れる事です。 特にロングボーダーはコードの寿命が1.5~2年位ですので 肝に銘じて安全なサーフィンを楽しんで下さい。 

リサイクルシェイプ

最近リシェイプの仕事がとても増えた。昔9'8"の古くなったロングボードを7'5"くらいのショートボードが欲しかったので作り変えた事がある。ショートボードが欲しかったがお金が無いので高橋太郎氏に作り方を教えてもらい自宅のガレージで何とか完成させた。見た目は悪いが乗ってみると意外に良かった。3年位前から仕事として始めたが これがすごく楽しい。ボロボロで廃棄寸前のサーフボードが新品になってしまうのだ。HPに作業の様子が載っているのでチェックしてみて下さい。Facebookに載せた時 海外のサーファーからの反応にはびっくりした。彼らはエコでリサイクルだと評価してくれた様だ。そしてリシェイプをオーダーしてくれるお客さんの反応が面白い。以前 デッキが はく離して誰が見ても捨てるであろう古い9'6"スリーストリンガーのボードのリシェイプが完成し 引取りに来た時の彼の顔が忘れられない「福田さん これは本当にあのボードなの?」と7'2"になりイエローティントでピカピカに仕上がったファンボードを なで回し感激してくれた。僕もとてもうれしかった。もう捨てられるはずのボードを再び蘇らせ海で乗れるなんて とてもすばらしい事だ。ぜひ皆さんもお手持ちの古いロングボードがあったらリシェイプをお勧めします。特に厚いロングボードは ひどいはく離をしていても大丈夫です。私と相談しながら良いプランを立てていきましょう。費用は¥90.000~¥110.000-です。

サーフボードブランクス

ブランクスとはサーフボード原材料 フォームの事です。何年か前に世界一のアメリカクラークス社が突然止めてしまい世界中のサーフボードメーカーはパニックになった。日本でもわずかに輸入しているオーストラリアのフォームを各社が争って買い求め 本国のオーストラリアまで買付けに行った会社もあった。その時私は「あーそうか 大変だなぁ」と思いながら 「何とかなるだろう」とぼんやりしていた。その内 あちこちから情報が入り 何とかなった。その後クラークス社で働いていた関係者がUSブランクスという製品を販売した。一年後には供給も安定した。昔アメリカにはグラビークラークのクラークフォーム ハワードウォーカーのウォーカーフォームそしてフォスフォーム その他小さな会社もあったようだ。

1969年頃にアメリカのどの会社か忘れたがカラーフォームを販売していた。フォームというのは基本的に白いウレタンだが色を入れた発泡剤を使い発砲させていたようだ。要するに そのブランクスをシェイプしてクリアーの樹脂で巻くとフルカラーのボードが完成するのである。色は確かイエロー ブルー グリーンなど何種類かあった。このフォームを使って ゴードンスミスからモダンマシーンミニモデルが販売されていたのをサーファーマガジンの広告で見たのを覚えている。日本でも昔はTEDやマリブなどは自社でフォームを発砲させていたが 気候と発砲技術の難しさなどでやめてしまったみたいだ。千葉のTEDの店に行くと当時の発砲している写真があるのでみて見るといい。いかに大変な作業だったか先人の苦労が良く分かる。

27年目の夏

私の店は開店して今年で27年目 ずいぶん変わりました。店内のボードのレイアウトや商品も多くなり 隣には工場もでき ボードの納期も昔のハミルトンでは信じられないくらい早くなりました。約3週間!!以前のハミルトンはボードどころかTシャツが数枚に小物がほんの少し WAXすらなかった。 そして なんとエアコンがついたのです!! なかなか会えないオールドハミルトンファンの皆さん 夏です。ぜひ涼しくなった店に遊びに来てください。待ってます!

ボックスフィン物語

1969年頃のサーファーマガジンの広告
1969年頃のサーファーマガジンの広告

私の初めて買ったサーフボードはFUJI「富士」の国産品で東京の「富士精機」で製造していたらしいと高橋太郎氏から聞いた事がある。価格は3万8000円。フィンは固定のファイバー製 ハーフムーンだった。他にミナミスポーツからトンボ「TONBO」という国産のメーカーもあった。それにはウッドのハーフムーンがついていた。それから間もなく米沢プラスチックからマリブ「MALIBU」という本格的なサーフボード「コンペチター」「エミュレーター」「アチーバー」という3種類のモデルが発売された。それにはフィンが取り外し可能なバリアーブルフィンというシステムがついてボードにボックスが埋め込まれ フィンの後ろにボルトがついていて それを回してアジャストした。 ボックスにピッタリのフィンだったので前後には ほんの少ししか動かす事ができなかったが画期的だった。その後テッドも違うシステムのボックスフィンを発売した。フィンの後ろに穴があって今のようにボルトでしめる。ただしフィン本体がポリプロピレンである為 やわらかくふにゃふにゃで残念だった。1968年頃にアメリカでウェーブセットというシステムがサーファーマガジンの広告に出ていた。カルフォルニアの各サーフボードメーカーが一斉に使い出した。フィンの前後に穴が開いていてヘキサゴンボルトで上からしめるタイプでフィンのバリエーションもたくさんあり一斉を風靡した。日本ではいち早くテッド「阿出川氏」がアメリカから持帰りEDモデル「エドワード小川」に使った。 ものすごくしっかりしていてフィンも細い8インチ位のバナナフィンがフィーチャーされていた。フィン本体はプラスチックの一体成型だがフォイルもあり強度も充分だった。その後にカルフォルニアで「ガイダンスシステム」という新しいシステムが発売された。これはボルトを一切使用せずボックスとフィンにギザギザの成型をして それをぴったりはめ込むシステムだった。そのころ今の支流のF・U「フィンズ アン リミテッド」も発売されていたと思う。その他 まだたくさんのおもしろいシステムがあったと思うがなかなか資料が無いので今後チャンスがあったらまた皆さんにお知らせします。

 

日本のアメリカ物語

1969年7月太東岬 初めてのショートボード
1969年7月太東岬 初めてのショートボード

私がサーフィンを始めて見たのは高校2年生の時だった。当時 千葉の大原に別荘があり 兄と父と3人 車で向かう途中 太東岬で小用の為 車を止めた。当時の太東岬はドライブインや周りの店など全く無く 今のドライブインの駐車場が小さな山になっていて その山と山の間に細い道があり 道路の入口の柱に太東岬と書かれていて静かで小さな海岸だった。その細い道から海岸を見るとアメリカの大きなステーションワゴンが数台止まっていて その真ん中でバーベキューをやっていた。砂浜にはサーフボードが数枚 海の中にサーフィンをしている外人が何人か居た。「おぉ すげー」と兄を呼んだ。「おぉ サーフィンじゃん」と兄 しばらく見ていたかったが 父に呼ばれ別荘に向かった。 翌日 もう一度太東岬に行きたくて兄の運転で海岸に向かった。入口の細い道を下って海岸に着くと10人近くの白人の若者達がラジカセから音楽を流してバーベキューをしたりサーフィンをしたりしていた。そのフインキはまさにアメリカの青春映画そのものだった。兄が英語で話しかけて何人かの若者と友達になった。サーフボードを持たせてもらったり波の乗り方など教えてもらった。その日は再会を約束して帰った。帰りの車中 もう頭の中はカルチャーショックで真っ白だった。「外人ってカッコいい サーフィンしてぇ」 その思いが数日続いたのを覚えている。彼らは立川とか府中の基地から週末にやってくるそうだった。その後何回か彼らと一緒に過ごしボードを貸してもらったりサーフィンの手ほどきも受けた。確か借りたボードは真っ赤なハンセンだった。すごく重かった。後で聞いた話で彼らの中に兵役で日本に来ていた あの名サーファー スティーブ・ビグラーも居たらしいが確認はしていない。

ナンシー・ケィティン

私がハワイにいた時 カルフォルニアでサーフボードのメーカーをやっている友人の所に訪ねて行った。そこはパシフィックコースト・ハイウェイ(サーフサイド)にあり ちょうどトランクスで有名なカンバス バイ ケイティン(K by K)の店の奥にあった。帰りにトランクスを見にケイティンの店に寄ったら ちょうどナンシーケイティンが居た「あらっ あなたロイ(友人の名前)の所に来た人ね ハワイアンなの?」と話しかけてくれた。僕が「いえ 日本人です」と言うと 「ちょっと待って」と奥から中年の東洋系の女性を連れて来て「彼女はミセス タカハシ 工場のチーフなの」と紹介してくれた。タカハシさんは日系でアメリカ生まれ 日本語はしゃべれないが たった一言 知っている日本語が「スケベ」だった。 ぼくがトランクスを欲しいと言ったら ナンシーが「あなたは痩せているからオーダーで作ってあげる」と言われ その工場でタカハシさんがサイズを計り 新柄だという数枚の布地を持ってきてくれた。その中でグリーンの花柄を選んだ。数ヵ月後サーファーマガジンの広告の中でナット・ヤングとマイク・パーパスが同じ物をはいていた。 翌日 友人の所へ行った時 ナンシーが「ヘイ ボーイ トランクスができてるわよ」と声をかけてくれたので 帰りに取りに行き料金を支払おうとすると「これはいいの 私からのプレゼントよ」と言って Tシャツとステッカーも一緒にプレゼントしてくれた。大変うれしかったので日本から持ってきていた和紙で作った財布をお返しにプレゼントした。ナンシーはとてもよろこんでくれた。タカハシさんが和紙で作ったものは 日本でも とても高価なのよとナンシーに説明していたが そんな事はない 日本の雑貨屋で480円程度で買ったものだった。 それから約一ヶ月程 その友人の所に居た そして毎日ナンシーとタカハシさんに会った。その間に10枚くらいのトランクスやジャケットをプレゼントされ可愛がってもらった。ナンシーの店ではビッグネームのサーファーにも会った。デビット・ヌイバ マイク・ドイル ラスティ・ミラーやディー・ウエーバー等たくさんの名サーファー達。 彼らは皆 気さくで とても日本の波に興味を持って質問されたのを思い出す。あれから約40年 パシフィックコーストのあの辺りはどう変わったんだろう? 機会があったら訪れてみたいと思う。

 

何歳まで?

サーフィンは何歳までできるんだろう。こんな事を最近考えるようになった。私は62歳で まだまだできそうです。アメリカでは92歳のサーファーのDVDを観た事があります。日本では最高年齢は何歳くらいなんだろう?いろいろ考えたり友人と話しをしたりして思った事は サーフィンが楽しい面白いと いつまでも好奇心の強い人は長く続いている人が多い 体力なんてロングボードの場合は慣れてくると大して使わない。サーフィンというものになれない事はアキが来ないで新鮮でいられるようだ。なんて事を考えていたらバカバカしくなって 要するに身体が動く限り サーフィンをやりたいと思っている限り 波に乗り続ければいいんじゃないかとの事に気が付いた。人生あまり先の事は考えないで 毎日おもしろ おかしく 過ごした方がよい。 皆さんもそうして下さい。

メイキング オブ ロングボード

サーフボードの作り方の工程を以外に皆さん知りません。サーフショップで働いている店員や店の経営者の人も分かっていない事が多いのにはびっくりします。もっと勉強して下さい。そこで大まかではありますが工程を説明します。以下は私のボードの作り方なので 他の工場とは違う所もあります。私は60年代当時の方法で作業を行なっています。まずシェイプ これは皆さん知っていると思うので次へ ラミネートはボトムから行ないます。そして乾燥したらデッキをラミネート 樹脂はノンパラフィンでモノマーもほとんど入れません。ボトムデッキのラミネートが乾燥したらホットコートです。これはサンディングするための硬い硬化の樹脂を使います。ボトム デッキの両面に塗り そして その時にフィンボックスを入れます。次はサンディング これはプラスチックシェイビングと言われるくらい難しい作業です。樹脂で凸凹になった表面をサンディングマシンを使って元のシェイプの型に整形します。それが終わると最後のフィニッシュコートを塗ります。これはパラフィンを入れ硬い硬化にします。そしてハケの技術の大変難しい作業になります。最後はバフがけ ポリッシャーでボードをピカピカに仕上げます。このような工程で皆さんにお届けするサーフボードが出来上がります。ひとつひとつの作業が職人技の結晶です。大事に可愛がって いつまでも大切に使ってください。

リアルコンテスト

先日 千葉の鵜原海岸で東日本大震災旭日地区義援金活動と鵜原産廃処理場建設反対のイベント「HAND to HAND」の中でロングボードコンテストを開催しました。出場者は30名限定で東京 千葉 栃木 神奈川 からたくさんのサーファーが参加してくれました。レギュレーションはまず シングルのハーフムーンのみ ボードの選択は試合前にこちらで用意した 8フィート~10フィートの重いハーフムーンボードをくじ引きで選びます。ですから 自分のボードは使えません 全員にハンディを持たせます。そしてノーリーシュで試合を行ないます。当日の波は腰から胸くらいで風もサイドのオフショアーで よいコンディションでスタートしました。 試合の内容ですが これが実にレベルの高い試合でメインジャッジの岡野教彦氏もクラッシクスタイルをよく理解していて みんなとても上手いと絶賛を頂きました。選手も皆 テクニシャンで派手わりにはチープなノーズライディングなどの技は少なく ヘッドディップやロックイン チューブストールなど本当に難しいロングボードのクラシカルテクニックを披露して よい試合を見せてくれました。ハーフムーンに乗るのが始めての選手もたくさんいましたが 皆さんこれからはハーフムーンもありだね なんて楽しんでいました。ロングボードクラッシックは重いハーフムーンフィンの直進性のよさはとてもエレガント 久しぶりにクラシカルサーフィンを見た感じでした。 選手の質もマナーも大変よく リアルサーファーのリアルなコンテストでした。僕が昔々サンタバーバラで見たローカルのクラブの大会の様なユル~イ感じが最高 次回はもっとコアなクラシカルサーフィンのコンテストをクラシックなポイントで開催したいと思います。その時は是非 皆さん 参加してください。見物に来るのも参加です。上手いサーファーのサーフィンを見るのはとても勉強になるし楽しいですよ。

リアルサーフ

今回はサーフボードの重量について ボードの重さは大変重要な性能です。一般にマニューバー系は軽く クラッシック系は重い となっています。私は自分が製作するボードが古いスタイルなので 軽いマニューバー系はそこそこの重さで製作しています。軽いボードの重さは だいたい5kg~7kg位です。重いクラシック形のボードは10kg以上あり スーパーヘビーなビンテージボードになると16kg~18kgのボードもあります。結論から言うと やはり ロングボードは重い方が良いようです。特に日本の小さな波には重いボードがとてもフィットしています。そして重いボードには 是非ハーフムーンフィンをお勧めします。重いボードは滑り出しは遅いのですが走り出すと とても早く軽快です。重いのでバランスも良く ふらつきも無いのでウォーキングやノーズワークも容易にできます。そしてハーフムーンフィンは実はとてもよくボードが回ります。大きな面積を利用してテールの方で ゆっくり身体をひねるとキレイなカットバックが完成します。すぐには無理かもしれませんが 皆さんも練習して下さい。このボードの返しができると クラシックサーフィンの楽しさが分かってきます。ぜひ優雅なスタイルを完成させて大人のサーフィングを楽しんでください。ちなみに私の店ではボックス用のハーフムーンも製作して大変好評です。興味のある方はお問い合わせ下さい。

昔話

先日仕事に行った時 車が渋滞して ちょうど大原の交差点の少し行った所で車が止まった。ふと 左側を見ると 昔 うちで所有していた別荘と言うのはおこがましいが 青春時代を過ごした家が目に入った。父が亡くなった時に手放した家だ。あれから32年 その家は廃屋になっていた。屋根はめくれ上がり 家のまわりのペンキは剥げ 2階にあったベランダの手すりは壊れていた。時間はあったのだが なぜか立ち寄る勇気はなかった。あの家は僕が大学1年生の夏に父が親戚の伝で手に入れたらしい。それから10年間 夏はもちろん 秋も春も冬も毎週末 あの家で本当に楽しい時間を過ごした。渋滞が解消し 車が走り出したが僕の脳裏には あの家で過ごし出会った人々の顔が次々に浮かんできた。今もお付合いのある人も大勢いるが もうあれっきり会っていない人もたくさんいる。西岸 良平の漫画に出てくる様に皆 若い時代の顔で笑っている。今は亡き兄も甥も…そしてバックミラーに映った自分の顔も一瞬 当時の僕に戻った様な気がした。楽しい時代を思い起こすと どんなにつらい時でも とても落ちついた気持ちになれる。

 

ローカルリズム

ローカルと聞くとサーファーは あまりいい響きには聞こえない人が多いと思う。でも本当は違う 僕がマウイに居た時 初めてホノルアのF‐53に入った日 波はパーフェクトな4~6Feetでサーファーの数は10人くらい いい波なのに人が居ないなぁと思っていたら 沖の方から声がして「ボーイ そこはダメだ もっと沖に来い」と手招きをしてくれた。うなづいて沖の方へ行くと 1人のハワイアンが「ベイは初めてか?」と聞いてきて 色んな事を教えてくれた。潮の流れ 海底の事 サーフする時のライン等 本当に親切でフレンドリーだった。サーフィンが終わって友人に 「ここのサーファーはとてもフレンドリーだね」と言ったら 友人のクリス・スリッケンマイヤーが「彼らはベイのローカルだからね ビジターには安全に楽しんでもらう為にケアしてくれるんだよ それが自分達の場所を守る事になるんだ」と教えてくれた。でも今はその言葉が違ってきている。ローカルというと 威圧的でいじわるな感じを受ける。本来は上記したように その土地の事をビジターに教えたり 案内してくれる人達の事 山にも街にもローカルはいる。海岸以外のローカルの人達は街のスポットや おいしい物がある所 山のローカルは安全で美しい景色を教えてくれて サーフィンのローカルはそれが出来る人が少なくなった。もっと大きな気持ちで楽しく過ごすという本来の人の気持ちにもどって 良い意味でのローカリズムが育っていく事を心から願う。 もちろんビジターも そのポイントを大切に守り ローカルに感謝の気持ちを忘れずに

畑の中のシェープルーム

僕がマウイに居た頃 住んでいたのは砂糖会社で有名なパイオニアミルというアメリカでは大きな企業の砂糖きび畑で働く人たちのキャンプだった。一部屋は約8畳くらいで 台所 便所は共同 外にシャワーがあった。8部屋あり長屋の様になっていた。その時 僕の他に3人しか住んでいなく 他は空部屋になっていたので そこの一部屋を友人がシェープルームにして貸していた。そこに来たのはスティーブ・スリッケンマイヤー クリス・スリッケンマイヤーの兄で本土ではビングのシェイパーだった。 ビル・ハミルトンは日本製のオフロードバイクでやって来た。オウル・チャップマンはビートルズのオブラデオブラダをガンガン掛けてシェイプしていた。かなりうるさかった。チャーリー・クリズナルはシェイプの前に必ず「禅」のポーズを行なって精神統一をしたり 本当にシェイパーというのは個性的な人が多い. ある時キャデラックのオープンカーで長身の小奇麗なハワイアンが来た. デビット・ヌイバだった。彼は僕に「チャーリーQは居る?」と聞いたので「今日は来てないよ」と言うと「OK マハロ」と言って土煙を上げて去っていった。後で聞くと ジミ・ヘンドリックスと何人かのサーファーと一緒に映画の撮影の為にマウイに来たとの事 その映画こそ 伝説の「レインボー」らしい 僕は未だに観ていない。ぜひ観たい。

 

 

きらいだ~!!

私の苦手なものは こんなゴツイ顔をしたジジイのくせに何と「カエル」そうFLOGなのだ!!小さい頃はぜんぜん平気で捕まえて遊んでいた。何故キライになったのか それは小学校4年生の時 理科の実験でカエルの解剖があった。当時 僕の後ろの席に中野さんという女の子が居た。彼女は金町の方から通学していて その頃 金町はまだ大変田舎で田んぼがたくさんあり 食用ガエルがいっぱいいた。そこで彼女は自分で実験用の大きな食用カエルを持参し そのカエルをこともあろうに授業中に僕の襟首からシャツの中に押し込んだ。その時の背中の感触…「あ‘っ~!!」今でもハッキリ覚えている。あのぶよぶよ感 それがトラウマになり その時からカエルは全くダメになった。本物はもちろんオモチャのカエルでも引いてしまう。ホント!思い出すだけでも嫌なくらい にがてである。ただし ただしだ「カエル」は食べられる。から揚げはとても美味いのだ。

イージーライダー

DVDでイージーライダー(EASY RIDER)を観た.1969年の作品だから 僕が21歳の頃の映画だ。今見てもぜんぜん古さを感じないどころか何だか新しいものを観た様に新鮮だった。ストーリーなんかある様でない様だが ようは思いっきり自由な国にいるくせに不自由さを感じている2人の若者がニューオリンズ目指してバイクの旅に出て その途中保守的な南部の人間やヒッピーのコミューンなどでの出来事を描いたロードムービーの最初の映画らしい。でも最も良いのが映像と音楽 おなじみのステッペンウルフ(ワイルドで行こう)やザ・バンド ジミ・ヘンドリックス ザ・バースなど当時の癖のあるバンドが映画のサウンドトラックになっている。それとファッションや60年代後半のカルチャーだ。 特にサーフィンとは関係ないのだが僕は60年代終わりにサーフボードが短くなってきたのを この映画を観て納得がいった様な気がした。サーフィンもやはり重要なビーチカルチャーの一部だったんだと 決して一部の物が変化するのではなく 文化とは本当に全ての事柄に影響をあたえていくもんだって それをするのが若者だって すばらしい事だと思う。

 

趣味人

知人が1978年型のスズキTS250というバイクを買った。エンジンは2サイクルでブレーキもドラム 金属部品が多く とてもレトロでカッコいい。またがって乗ってみると自分が若い頃に乗っていたXLやTLといった感じが実にはまった。全体に無骨で車体も大きくて重い 若い人に乗せてみると「なんだこれ チョー乗りにくいっす」って言う。おもしろかった。おじさんたちは そのチョー乗りにくいバイクで昔はたくさんあった林道に行ったり 狭い街中をすっとばしたもんだ。自分も時代も環境も変わってしまったけれど昔の鉄の馬はそれらを全部乗り越えて今でも現代に行き続けている事がとてもたのもしくうれしい。人間もこうありたいものですね。

こんなところで

1973年から約1年間マウイ島にいた。当時のマウイは大変な田舎でとても良い所だった。波のクオリティーもホノルアベイをはじめオルワル ラハイナ ハーバー等 とても空いていて完璧な波がブレイクしていた。サーフショップもラハイナのフロントストリートにディック・ブリューワーの小さな店が一軒だけで とにかく昔のハワイというフインキだった。そんな中 当時 日本からの観光客などほとんどいないラハイナの町で父の友人である浅草の大工さんに出会った。彼はオプションツアーでマウイ島にやって来て ラハイナのパイオニア・インという有名なレストランに昼食で寄っていた。僕が港の波をチェックしていた時 突然 大きな声の日本語で「あれっ まさおちゃんじゃねえか!」と聞こえてきた。一瞬耳を疑った。振り向くとそこに見慣れた小柄な日本人のおじさんが居た。扇子をパタパタさせ ハンケチで汗を拭きながら近寄ってきて 「こんな所で何してんだよ」僕は「いや その 今 この島に住んでいるんです。」と答え その後 取りとめのない世間話をした。別れ際におじさんは財布から100ドル札を2枚 僕の手のひらに握らせて 「元気でやんな お父さんには帰ったら電話しておくよ」といって別れた。絶対に会いそうもない土地で日本にいても めってに会えないひとと ばったり会った あの時ほど何んなんだこれはと思った事はない。今でも この時の事を時折思い出しニヤッとするのである。 

どーなる!サーフィン文化

フェイスブックに出ていた出川三千男氏の意見に同感した。日本の雑誌の内容の無さ 知らなくて良いことばかりを載せている。ポイントの紹介だのサーフボードのカタログだの もううんざりするものばかり 何が言いたいんだ? ここで何を書けとはいいたくないが これだけは言える。 物質的な物より精神的なサーファー風にいうなら ソウルのある記事を載せてほしい。 30年位前に出版されていたサーフィンクラッシックはおもしろかった 石井君なんとかして下さい。

海に行く車

ハミルトンH.Pの立役者でもある若井氏がおもしろいオモチャを手に入れました。V.Wキューベルワーゲンです。対戦中の軍用車をレプリカしたもので 30年くらい前ハワイで大流行した車です。 全体にシンプルな構造ですが 頑丈にできていて サーファーには似合っています。道具としても使いやすく楽しめそうです。彼は早速 店に会った60'Sモデルを購入し あ~でも こ~でもないと板の積み方を研究していました。 まっ 好きにやってくれぃ!

 

 

 

 

ロングボード・ルネッサンス

私がまだこの仕事を始める前の1982年頃のサーファーマガジンのドルゥー・カピオン特集でロングボード

・ルネッサンスという記事が出ていた。書いたのは確かカピオンだった 内容はカルフォルニアでロングボードが復活し始めたというような話だったと思うけど内容はともかくこの記事のタイトルの「ロングボード・ルネッサンス」というタイトルにいかれてしまった。「ルネッサンス」という優雅な単語を「ロングボード」という これまたまったりとした乗り物にくっつけて なんともいえないステキなタイトルを考えた ドルゥー・カピオンにはまいってしまう 写真は確かマイク・ドイルのアーチスタイルのノーズライディングで これもよかった。でも最近のロングボーダー達のがつがつと波をむさぼるのを見ていると このスタイルがずーっと遠くに行ってしまったのかなぁ とさびしい気持ちになる ひとりでボーっとしている春の宵でした。

女性のシェーパー

サーフボードのシェイパーは私が知る限り女性のプロシェイパーはいないと思う。ローカルで活躍している人はいるらしいが 何故女性のプロシェイパーがいないのか? その昔 鎌倉で一人の女性がサーフボードワンの行岡 豪氏のところでシェイプを勉強していたのを聞いたことがある。アメリカではリズクラークなどが自分のボードをシェイプしているようだ。シェイプの仕事は体力的にそれ程きつくないし 集中力だって女性も充分あるだろう。この事を考えても 多くの女性サーファーが増えた現在 出てこないのは 経済的にむずかしいからか? でも そんな事は他の職業にもたくさんある。私は女性のシェイパーが出てくれば女性特有の感性でもっとよいアウトラインやスタイルができ 新しい

ものが生み出されるのではないかと思う。

 

 

 

 

TRANKS

ハミルトンのトランクスは20年ほど前にバードウェルとケティンのアメリカの製品しか本格的なサーフトランクスがないってな事で ではオリジナルをと 色々な会社のサーフトランクスを手に入れ 試作を繰り返し完成しました。まずは布地 それから型 フィット感 縫い目の幅 このフインキを出すのにたくさんのサーファーの協力で改良を重ねて行きました。特に股下の縫い目には大変苦労しました。スタイルはシンプルさをポイントに 丈の長さは3種類でこだわりました。 ストリングも白黒のものを特注。とにかく60年代のカルフォルニアそのままで仕上げたわけです。 今年は柄物にも力を入れていく予定なのでよろしく!

サーフィンの楽しみ方

サーフィンの哲学でひとつ面白いことがある。 それは波に乗るのは普通だが波に乗らない自由というのがある。 沖に行ってポイントで波に乗らずにボーっとしている 特に何も考えず ただ沖の方を見て無心になるとすごくエネルギーが湧いてくる。 本来ならば波に乗るためにそこにいるのだが それをしないという行為が大切なのだ 理屈抜きに一度やって見るといい 気持ちいいぞ。

TVを見ていたら…

皆さん ご無事でしたか? 大変な事を体験しましたね。 テロップを見ていると不安材料ばかり 画面は悲惨なことばかり 気が滅入ってきます。 でも これからが人間の力の見せ所です。 地震 人間をなめるなよ!って感じです。 皆さんも楽しいことを考えて 前向きに行きましょう!! 栃木のTさん 大丈夫でしたか? 心配しています。 

ある種のこだわり

ロングボードを車の屋根に積む時 多くのサーファーがフィンを前に積んでいる だが フィンを後ろに積むとすごく格好がいい 昔のアメリカのサーフィン雑誌を見ると 皆んなこうしている 何でだか分からないがとにかく かっこいい!

私の長ぐつ

私の車は10年以上前のランド・ローバーという英国の四輪駆動車で もう今の時代に全くそぐわない反ECOカーである。 エンジンが大きく V8の4000ccでフルタイムの四駆 車重が2t近くあり リッター3~4kmしか走らない それもハイオクガソリンで満タンにすると90Lも入る。 走り出すと小回りはきかないしハンドルは重い 低速の街中の走りは重くて最悪 おまけに電気系統の故障が多く部品も来るのに時間がかかる 昨年末に注文したガソリンタンクのブリーザーパイプも未だ入荷していない。 しかしよい所もある 高速でのクルーズは重い車体と幅広いトレッドで安定感は抜群 オフロードも全く街中の走行と変わらないほど静かで力強い。 雪の日などは本当にたのもしい車だ 結局の所 好きなんである この車が。 と言うのは何だか古~いロングボードと共通点があるようで何とも癒される何かを感じてしまう。 ちなみに私の車にはETCとかカーナビなどは装備していない。 私の中ではまだ昭和の生活でよいのだ。 私の昭和は終わらない これからも

私が福田です。

よろしくお願いします。

I LOVE シングルフィン

最近シングルフィンの人気が復活したようですが私にはうれしい事です。シングルフィンはオールマイティ、どんな長さの板にも対応でき動きもとてもシンプルです。特にロングボードの場合、安定性とスピードは抜群です。BOX使用にすれば色々な型のフィンも楽しめます。皆さんもまずは原点に帰りシングルフィンでサーフィンを楽しんで下さい。